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中野剛充『テイラーのコミュニタリアニズム 自己・共同体・近代』

勁草書房、2007年1月刊行

 

あとがき

 

 

この「あとがき」において、何よりまずも述べなくてはならないのは、本著が私個人のみの研究の成果では決してなく、橋本努先生と坂口緑先生を中心に、東京大学大学院で関心を同じくする仲間とともに始めたテイラー研究会の共同研究の成果に他ならない点である。すでに10年以上も継続しているこのテイラー研究会では、両先生をはじめとするメンバーとともに、テイラーの論文集Philosophical PapersTおよびUPhilosophical Argumentの一部ずつを、あるいはSources of the Selfの一章ずつを,まさにしらみつぶしのごとくレジュメにし、徹底的な議論を行った。ここでの議論と交流が、私の指導教官である山脇直司先生のご指導と共に、私を一個の社会思想研究者に育てあげてくださっている。その意味で、この研究は先に挙げた三人の方々とテイラー研究会に関わったすべてのメンバーを加えた、一個のコミュニティの成果そのものである、と私は考えている。そして私は、このコミュニティが、公私にわたって私の人生を導いていただいたことに、いくら感謝してもしきれないと思っている。このコミュニティの成果として本著の可能性や真価は全てこのコミュニティに帰属するものであり、限界や過ちはすべて私個人に帰属すべきものであることは、いうまでもない。

次に私が本著を執筆したいと思った動機について述べたい。10年来私はあることに関して極めて歯がゆく感じていた。リベラル-コミュニタリアン論争についての議論や考察は、80年代中頃から90年代中頃にかけて世界的に最もホットなイシューとして大々的に展開され、日本においても例えば井上達夫先生の『他者への自由』(創文社)や菊池理夫先生の『現代コミュニタリアニズムと第三の道』(風行社)のように、極めて先駆的かつシャープな研究が多く発表されている。にも関わらず、少し単純化して言えば、日本だけではなく世界的にもコミュニタリアニズムを単に「ロールズ正義論がコミュニティの価値を重視していないと批判する思想」としてしかその本質を理解していない議論が大半を占めているように思われたのである。そのようないわば矮小化されたコミュニタリアニズム理解ではなく、特にテイラーに典型的なように、そのコミュニタリアニズムが単なるロールズ批判にとどまらず、「西欧近代(の倫理性)」そのものに対して、全く新しいオルタナティブを提示する思想、あるいはリアル・ポリティックスにおいても通用する新しい公共哲学を構築する思想であることを世に知らしめるような議論こそ展開されなければならない、と私は痛切に感じてきた。そしてそのためには、極めて多岐にわたるテイラーの思想の一部分だけに焦点をあてて論じるのではなく、それを一度トータルに考察する必要があると感じたのであった。本著をテイラーの思想、あるいはコミュニタリアニズムをまがりなりにもトータルな形で提示したものとして、その真の可能性や限界を読み取っていただければ幸いである、と私は考えている。

また私の今後の研究の方向性について簡単に述べさせていただきたい。本著は補論を除いて、テイラーの思想、テイラーのコミュニタリアニズムに限定した研究である。しかし、いわゆる「コミュニタリアン」と言われている人々は、テイラー以外にも、アラスデア・マッキンタイア、マイケル・サンデル、マイケル・ウォルツァー、ロバート・ベラー、アミタイ・エッツィオーニ、ベンジャミン・バーバー、ロバート・パットナム…など多数に及ぶ。彼らはそれぞれ極めてユニークかつオリジナルな議論を展開しているのだが、英語圏においてすら、彼ら一人一人の思想についてのトータルな研究をしたものは極めて少なく、さらには彼らの思想をある種の共通性をもった「コミュニタリアニズム」として提示したものは、ほとんど皆無に近いといっていいのが現状である。リベラル-コミュニタリアン論争はすでに80年代に終わった、などと言うのは単純な過ちであり、私はむしろコミュニタリアニズムは21世紀にこそ緊急に必要な思想であると考えている。彼らの思想を一人一人研究するだけでも極めて困難であるのに、それらを統合してある種の実体性と無限の可能性を兼ね備えた思想として「コミュニタリアニズム」を構築するのは、気の遠くなるような仕事ではあるが、私はこの仕事にこれから全力で向かってゆきたいと考えている。

最後に、上記以外に私が大学生時代から大学院をへて現在にいたるまで特にお世話になった方々(以下順不同)、似田貝香門先生、森政稔先生、柴田寿子先生、斉藤直子先生、門脇俊介先生、井上達夫先生、佐藤俊樹先生、松原隆一郎先生、小林正弥先生、田中智彦先生、関谷昇先生、チャールズ・テイラー先生、マイケル・サンデル先生、辻英史氏、瀬田浩二郎氏、祖父(故)高井常雄、祖母高井みつよ、叔父高井保秀、叔母高井留美子、そして文章の書き方から議論の構成に至るまで懇切丁寧にアドバイスいただいた剄草書房徳田慎一郎氏、さらにこの小論を最後まで読んでいただいた方々に感謝して、この議論を終わりにしたい。